加藤聖子が、MAKE UPプロデューサーになるまで

はじめまして  
1秒で顔印象!お客様から選ばれる 【じぶん史上最高の顔を手にいれる】 
MAKE UPプロデューサー 加藤聖子です。  

【人生100年時代 美しさの先に笑顔を】
80代になっても美しく!経済的・精神的に自立を目指す人を応援します!
じぶん自身のため、じぶんの家族のため、そして大切なお客様のためにも、この先の人生をより美しく、もっと豊かに、とびきりの笑顔でイキイキと活動できることで、近い将来訪れるだろう大変な高齢化社会に、一つでも多くの素晴らしい未来をつくりだしたい。そんな想いで日々活動しています。

不安と涙の先に見えた、より強固な決心

私の母は、●歳になっても、レディーガガのコンサートや、友人と海外にも行ってしまう、フットワークの軽いバイタリティもパワーもある人でした。
ところが、父を亡くした事をきっかけに、どんどん痩せていき、あっという間に何もできない状態になってしまいました。

私たち家族は、転勤族で、母は専業主婦でした。ほとんどの仲の良い友人は遠方にいたのでどうしても縁遠くなってしまいます。母の世界は、父を中心にまわっていました。その父が亡くなってしまうと、社会との接点もなくなります。加えて経済的な不安も押し寄せ、気持ちが潰れてしまったのでしょう。

カラダや内蔵に問題が大きくあるわけではないのですが、1日中ボーッとしいるかと思うと、突然、「子供に迷惑がかかるから、死にたい」と言い出します。それは一度や二度ではありません。

実の母に「死にたい」と何度も言われ、その度に、情けなくて辛くて泣いてしまいました。

人間動かなくなるとカラダに問題がなくても、体力も筋力もあっという間に落ちていきます。あんなに活動的だった母が、お洒落もしなくなり、表情は消え、あっという間にまるで別人のようになってしまうのです。

なにもできない母に、どうして???動けないの?と、心の中で攻めてしまっている自分がいました。

あんなに元気だったのに、、、、、
それが「老人性鬱」だと知ったのはそれから間もなくでした。
突然やってきた「老人介護生活」は、私の日常も変えていきました。

そんな、母との生活の中で、私は、たくさんたくさん考えました。考えて悩んでめげて、気を取りなおしてはまた落ち込み…。そして、MAKE UPプロデューサーとしての自分の生き方を、より強固にしていくことを改めて決心したのでした。

生き方までもMAKE UP!
史上最高のじぶんになるMAKE UPプロデューサー

私はもともと、忙しい働く女性を「ヘアメイクアップアーチスト」として、支えたいと思っていました。

人は美しくあり続けることで、さまざまな「パワー」をもたらします。
美しくなると「勇気」や「自信」が増え、さらに心が豊かになります。

心が豊かな人が増えると、さまざまな社会課題を解決していく行動の輪が大きく拡がり、やがてたくさんの笑顔が社会にあふれ出していきます。そんな姿を理想の姿として思い描くようになりました。

生涯現役、好きなことを仕事に生きていく人を、
私は人の美に携わる者として支えたい!

「80歳でも、好きな仕事をこなし、無理なく税金が払えるくらい経済的に孤独にならない生活を維持できて、豊かに笑顔があふれる楽しい人生を過ごすために、じぶん史上最高の状態を更新し続ける人生を、アナタともに生きていきたい。」

そんな理想を持つようになり、ヘアメイクアップアーチストとして活動しながら、美しくなることにより、生き方までもMAKE UP(創りあげ、上昇させる)史上最高のじぶんになるMAKE UPプロデューサーとしても活動している経緯をお伝えしますね。

人は美しくなるだけで幸せになる
美肌と健康の研究をしたきっかけとは

憧れのヘアメイクを志し、美容専門学校を卒後。
美容師免許、シーズンカラーアナリスト資格習得。

ところが、美容師の修行時代に、初めてのひとり暮らしと初めての仕事も家事も「何もできないこと」のストレスで肌がボロボロになり、胃潰瘍が3つもできてしまいました。

そして顔の半分だけニキビが出始め、あっという間に肌がボロボロになってしまいました。さらに、膿が出て、肌が醜くなり、美容の仕事をしているのに、こんな肌をみせるのが嫌で情けなく、髪で隠していました。

トレードマークの笑顔も作れず、お客様の顔も見れない有様で、職場では怒られてばかり(当たり前ですよね。接客できないのだから)。どんどん自信を失って気持ちが卑屈になり、先輩たちのアドバイスも真っすぐに受け取れない、まさに疑心暗鬼状態になっていきました。

仕事もプライベートも何もかも嫌になり、笑えなくなり、体重も35㌔に。ついには、一人で立ってられないように・・・ついに倒れて、入院してしまいました。

それでも、泣き言を一切言わず、1人前のつもりで頑張っていましたが、母に泣かれ、西宮の実家に戻されることとなりました。

父には、美容師になる前からハードな仕事は向いていないと頭ごなしに言われ、猛反対されていたのを押し通したこともあり、夢半ばでの挫折感と屈辱感は、今でも忘れられません。

ところが、実家に戻ってしばらく母の手料理を食べて体力も肌も少しずつ回復していきます。

じぶんの原点「人は美しくなるだけで幸せになる」
そんなヘアメイクになりたい!と夢を思い出しました。同じ失敗を繰り返さないために、図書館に通い、美肌と健康を取り戻す研究をしました。今思えば、このことは何年か後にターニングポイントにつながったと思います。

満を持して、神戸の美容室で再スタートします。口は悪いが、厳しく優しい師匠(笑)との出会いにより、あんなに辛かった美容師の仕事は、楽しくてたまらない、一生の仕事になったのでした。

しなやかで、周りに人に元気を与える美しい人になりたい

23歳ヘアメイクとしてデビュー

美肌の知識を見込まれ、美容師をやりながら、休日にはshuuemure化粧品システム講師として美容師向けの教育担当。SEBASTIAN(米)アーチストチームに参加。ファッションショー・ヘアメイクショーメイクセミナー等で活動するなど、関西を拠点に、全国飛び回る生活をし、充実していました。

そんな矢先・・・

26歳、阪神淡路大震災の経験で後悔しない生き方を覚悟

仕事が軌道に乗り始めた矢先、あの 6,434人が犠牲になった阪神・淡路大震災大震災が起きました。経験したこともない揺れの中、箪笥の下敷きになり、父に「生きているか」と呼ばれ、助けられたことを覚えています。

実家は壊れて住めなくなり、しばらく後輩の家で世話になりました。精神的にも身体的にも大きなダメージを追いましたが、生き残った者として、1日1日を無駄にせず大切に悔いのないように生きなければと強く思うようになりました。

そこで、私はかねてからの夢だった「雑誌や心に残る広告の仕事に関わるヘアメイクになる」という夢を実現するために、そして残された人生を後悔しない覚悟を決め、東京に拠点をうつすことにしたのでした。

29歳で東京に活動拠点を移し、憧れのヘアメイクに

若い頃から憧れていた大御所のヘアメイク事務所での面接をこぎつけました。準備万端で意気揚々と望みましたが、面接官でもある大御所ヘアメイクから まさかの一言。

「秘書みたいに見える。ヘアメイクに向いてないんじゃないの?」

それが、大ショックの一次面接でした。

夢を叶えるにも「見た目が100%」なのだということを思い知らされました。でも、落ち込んでいる時間はありません。一日たりとも無駄にしないと誓ったばかりですから。

一次面接の帰り道、私はすぐ美容室にいきベリーショートにしました。事務所の雰囲気にあわせたファッションに大変身したのでした。

その姿で二次面接に挑むと「ここまでイメージチェンジしてくるとは」と、大逆転!無事入ることが出来ました。

厳しい事務所でしたが、夢にみたファッション雑誌・広告・CMなどチャンスに恵まれ、ヘアメイクとして活躍できるようになったのでした。

39歳 念願の自分の会社を立ち上げた矢先…

ヘアメイク事務所で10年間勤めた後、いよいよ念願の自分の会社を立ち上げました。アシスタント含め、スタッフ5名で活動していました。ありがたいことに、あしらこちらの撮影現場にお声がけいただき、まさに絶好調なスタートでした。

Hair & Makeup Artist 加藤 聖子の実績はこちらをクリックhttp://virtu.info/profile/shoko_prof.pdf

どんなに忙しくて休みがなくても、寝る時間がなくても楽しくてしょうがない!毎日の現場は、刺激的で、楽しく、私は水を得た魚のようにイキイキと仕事をしていました。

ところが、忍び寄る病魔に気がつく事ができませんでした。絶好調と思っていた1年後、40歳で子宮がんになってしまったんです。

手術と療養のため、あんな好きだった仕事は一切出来ず、病気で一気に老け込み、鏡に映る自分にドンドン自信も失っていく・・・

そんなとき、当時担当していた女優さんに、

「聖子ちゃん、休暇をもらったと思ってお手入れしなさい!肌が綺麗になると元気になるから!心配かけたらダメ!復帰したときに美しく笑ってなさい」

と、1年分ぐらいある大量のシートパックを頂きました。(笑)その女優さんは、何回もガンを経験し、不死鳥のごとく美しく復活してくる60代の女性でした。

そんな彼女のような存在に私もなりたい!“しなやかで周りに人に元気を与える美しい人でありたい!”と強く思ったのでした。

メンタルのどん底のから復活
エイジングケアもするヘアメイク」が評判に

私の 
「人は美しくなるだけで幸せになる」 と思っていた原点は
『元気で美しくないと幸せではない』に、変わっていきました。

私は、病後のカラダがきちんと復活するまで、カラダ・食・運動など美しく健康になる知識を学び、資格をとりまくり、研究に明け暮れました。

◆ボディワーク(骨格・筋肉リリースなど施術)
◆日本ストレッチ協会トレーナーセルフ
◆アンチエイジングアドバイザー
◆ダイエットアドバイザー
◆美肌食マイスター
◆肥満予防健康管理士の資格を習得
◆「日本肥満予防健康協会認定講師

アンチエイジング美容を研究していくと「エイジングケアもするヘアメイク」が評判を呼び、美意識が高いエイジング世代の女優やモデルに支持されるようになり、仕事にも復帰できるようになりました。

すると、頑張りすぎない!太らないアンチエイジング美容や美肌食というコンセプトがヒットし、雑誌などの監修やセミナー・講演会の依頼が来るようになりました。

同時にアンチエイジング東京塾Chooseを開講しました。
自らガンの経験から、「元気で美しく幸せになるため」に深めた知識と経験を積み上げてきたことを頑張りすぎちゃう無理がきかなくなる女性に伝えたくて資格講座を開催し、健康、美容、食、トータル美容家としても活動し始めました。

49歳「史上最高のじぶんMAKE UP プログラム」を完成

女性は、「美しく生きること」ができると自信を取り戻し、自分らしく健康で幸せになれる】と確信し、私は、老化による外見に自信持てないお客様のもっとも理解するパートナーになりたいと思うようになりました。

その方の、本来の美と個性をひきだし「魅力あふれる史上最高のじぶん」だとご自身で感じて頂くことを目指しています。雑誌や広告のヘアメイクで28年間、女優やモデル含む5000人以上の女性を美しくしてきた知識と経験・テクニック集大成として、誰にでも簡単に5つのことを置き換えるだけの「史上最高のじぶんになる!じぶんMAKE UP プログラム」を完成させました。

現在、40歳からの自己実現を加速させる【史上最高のじぶんになる講座】を開講しています。

食・美容法・メイクアップをリニューアル(年齢に合わせた見直し)をし、3ヶ月で、自己実現の為の顔印象が劇的に変わるじぶん史上最高を「更新」し続ける講座であり続けることに、ベストを尽くすことをお約束します。

【人生100年時代 美しさの先に笑顔を】
私は、年齢を魅力に変え、より美しく、より心豊かに、生活の質を高め1人ひとりの幸せな人生と笑顔にかこまれる高齢化社会の実現に貢献していきたいと思っております。